2006-09-04

量子力学の話

私たちは、そこにものがあるということをどのようにして知ることが出来るでしょうか?

自分の眼に見えるものだけがすべてではないし、音に聞こえるものだけがすべてではありません。また、手で触って感じるものだけがすべてではなく、匂いを感じるものや味のわかるものだけがすべてではありません。さらに、頭の中で想像できるものだけがすべてではないのです。

原子よりはるかに小さい世界を考えるとき、観測するということの意味を深く考えなければいけません。眼で見えないものや触ることのできないものがそこに存在するということを証明するのは非常に難しいことです。

1920年代の物理学者たちが創造した量子力学では、測定できないものを勝手に想像することを放棄しています。測定可能なものだけを説明するために、根底から考え方を改めたのです。光が波と粒子の両方の性質を示す事実を知り、波なのか粒子なのかということを問うことをやめて、そのいずれでもないのだと開きなおったわけです。そして、量子という新しい概念を創り出しました。

測定可能な物理量だけを説明するために、さまざまな数学的なアプローチを試みました。その結果、観測対象となるものには常に波動関数という量が付随しており、ある物理量を観測するということはその波動関数にその物理量に特有な操作を行うことであるという概念に達しました。観測結果は、その操作を行った結果として現れる数値だということです。

それでは、観測対象(物体)に付随している「波動関数」なるものの正体は一体何なのでしょう?

これは、その観測対象(物体)が存在する確率を表すものだと考えられています(実際には波動関数の絶対値の2乗が確率に相当しますが)。この考え方こそ、かつてアインシュタインが死ぬまで認めなかったことなのです。というより、アインシュタインが認めたくなかったのは、観測できないものを放置してしまうことだったのかも知れません。科学の革命を起こした張本人ですが、最後は非常に保守的だったようですね。

科学が進歩して、すべての真実が明らかになったとき、やはりアインシュタインの方が正しかったということになるかも知れません。しかし、量子力学とそこから発展した理論は、これまでのどんな理論よりも高い精度で物理量の値を予測し、それが今日に至るまで実証され続けているのです。